私の両親が他界した後、数年ぶりに訪れた実家は、もはや私の知っている温かな家ではなく、足の踏み場もないほどに物が溢れかえったゴミ屋敷と化していました。空き家になっていた数年間に何が起きたのか、最初は理解に苦しみましたが、どうやら父が亡くなってから母が孤独を埋めるために次々と物を買い込み、それを整理する気力さえ失っていたようでした。玄関を開けた瞬間に鼻を突く饐えたような臭いと、湿気でカビが生えた段ボールの山。私はその惨状を前にして、どこから手をつければいいのか分からず、ただ途方に暮れて立ち尽くすしかありませんでした。自力での断捨離を試みたものの、一週間かけても六畳一間の床すら見えてこない現実に、私は精神的な限界を感じ、専門の清掃業者に依頼することを決めました。作業当日、プロの手によって次々と運び出される不用品の山を見て、私は自分がどれほど重い荷物を背負っていたかを痛感しました。ゴミの下からは、私が幼い頃に書いた手紙や、家族旅行の写真など、大切な思い出の品もいくつか見つかりましたが、それらさえもゴミの汚れに侵食され、哀れな姿になっていました。空き家の整理という苦行を通じて、私は「物を溜め込むこと」がどれほど残された人々の心を疲弊させるかを身を以て学びました。十数トンのゴミを処分し、ようやくガランとした空っぽの部屋に立ったとき、私は悲しみと同時に、計り知れない解放感を感じました。実家という場所を負の遺産のまま放置せず、自分の手で清算できたことは、私自身の人生をリセットするための重要な儀式でもあったのだと思います。空き家のゴミ屋敷問題は、誰の身にも起こりうる切実な問題です。それは物理的な片付けである以上に、過去との決別であり、自分自身の未来を守るための戦いでもありました。実家を売却し、新しい住人がそこに住むことになった今、私はようやく、両親との思い出を純粋な形で胸に刻むことができるようになったと感じています。
負の遺産となった実家のゴミ屋敷を片付けた記録