今回お話を伺ったのは、若手現代アーティストとして注目を集めるKさんです。彼の制作拠点兼自宅は、一歩足を踏み入れるとどこまでが作品でどこからが私物なのか判別できないほど、無数の物が散乱しています。世間一般の基準で見れば明らかに部屋が汚いのですが、Kさんはこの場所を「自分の細胞の延長線上にある場所」と呼び、この上ない安らぎを感じていると言います。「僕は潔癖な白壁のスタジオでは、何一つ筆が進まないんです。すべてがリセットされた無機質な空間は、僕に『何か完璧なものを生み出せ』と威圧してくるようで、息が詰まってしまう。でも、この散らかった部屋はどうでしょう。使い古した絵具のチューブや、何年も前に読んだ雑誌の切れ端、誰かが忘れていったライター。これらすべてが、僕がこの世界で生きてきた確かな証拠として、そこに転がっているんです。それらに囲まれていると、自分がどんなにダメな状態であっても、この場所だけは僕を許してくれる、という感覚になるんです。そう、この部屋は僕にとっての『落ち着く』の極致であり、最大の自己肯定の場所なんです」と、Kさんは穏やかな表情で語ります。彼にとって、部屋の乱れは「変化し続ける生命のプロセス」の現れであり、それを止めて整理することは、自分自身の鼓動を止めることと同じくらい不自然な行為に感じられるそうです。「多くの人は掃除をすることでストレスを発散すると言いますが、僕は物を捨てることに耐えがたい痛みを感じます。どんな小さな紙屑にも、僕と出会った歴史がある。それらをゴミとして排除することは、自分の歴史を否定することに等しい。他人の目には汚く見えても、僕にはすべての配置に意味があり、それらが響き合って僕の感性を刺激してくれるんです。僕はここで、物に守られながら、同時に物にインスピレーションをもらいながら生きている。このカオスこそが僕の安定なんです」と。Kさんの言葉からは、一般的な「綺麗・汚い」という二元論を超えた、独自の生存哲学が浮かび上がってきます。彼にとっての安らぎは、秩序によって得られる静寂ではなく、混沌の中で自分のアイデンティティが溶け合い、周囲の物すべてと調和しているという確信から生まれているようです。このような視点は、私たちが日常的に強迫観念のように求めている「片付け」という行為が、実は個人の多様な安らぎの形を画一化してしまっている可能性を、鋭く問いかけているのかもしれません。