部屋が汚い、あるいは整理されていない環境に安らぎを見出す人々の中には、その混沌とした空間から必要な物を掘り出すプロセス自体に、無意識の喜びや刺激を感じているタイプがいます。整然とした部屋では、物は決まった場所にあり、そこに発見の余地はありません。しかし、無秩序な部屋においては、何かを探すという行為が一種の「宝探し」や「考古学的発掘」に変貌します。目的の書類を探している最中に、数年前に紛失したお気に入りのペンや、忘れていた旅の思い出のチケット、今の自分にぴったりのインスピレーションをくれる古い書籍に出会う。このような「偶然の発見(セレンディピティ)」が日常的に発生する環境は、脳の報酬系を常に刺激し、単調な生活に微かなワクワク感を与えてくれます。彼らにとって部屋が落ち着く理由は、そこが単なる住居ではなく、自分の過去と現在がランダムに混ざり合った「生きたダイアリー」のような場所だからです。整理されていないからこそ、情報の組み合わせは無限であり、思わぬ発想の飛躍が生まれます。整った部屋が「効率」の象徴だとすれば、散らかった部屋は「豊穣」の象徴です。探し物をする時間は、客観的には時間の浪費に見えますが、本人にとっては自分の記憶の地層を探索し、自分自身を再発見するための対話の時間でもあります。また、このランダムネスは、脳に適度な負荷を与え続け、認知機能の衰えを防ぐ効果があるという説もあります。どこに何があるか、常に不確実な環境で適応し続ける柔軟性が、彼らの精神に活力と、独特の安定感をもたらしているのです。もちろん、重要な締め切りに追われている時にこのランダムネスが牙を剥くこともありますが、それを差し引いても、予測可能な退屈よりも、予測不能な混沌を好む彼らの気質にとって、散らかった部屋は最高の遊園地なのです。落ち着くという感覚は、静止した秩序の中ではなく、動的な変化と驚きの中に宿る。この逆説的な真理を生きる人々にとって、部屋の汚れは人生を彩るスパイスであり、自分を飽きさせないための演出でもあります。混沌を楽しみ、その中から自分だけの宝物を見つけ出す力。それは、無機質な現代社会において、自分の生活を自分だけの物語に書き換えるための、力強いクリエイティビティの現れなのかもしれません。
混沌の中で探し物をする楽しみ?ランダムネスがもたらす脳の報酬