私の部屋はかつて、ゴミと不用品が地層を成す、文字通りのゴミ屋敷でした。きっかけは本当に些細な、一通のダイレクトメールを捨て損ねたことでした。それをテーブルに置いたままにしたことで、次の郵便物も、その次の飲みかけのペットボトルも、すべて「後でまとめてやればいい」という、めんどくさがり特有の甘い囁きに飲み込まれていきました。私の口癖は「まだ大丈夫」でした。しかし、その「大丈夫」の境界線は、日が経つごとにどんどん後退していきました。床がゴミで埋まり、ベッドが物置になり、ついにはユニットバスの浴槽の中で眠るようになるまで、私は自分が異常な状態にあることを認めようとしませんでした。めんどくさがりという言葉は、私の無責任さを隠すための便利な免罪符となっていました。しかし、その代償はあまりにも大きかったのです。不衛生な環境のせいで肌は荒れ、常に喉の調子が悪く、精神的にも追い詰められていきました。最も残酷だったのは、自分の部屋がゴミ屋敷であるという秘密を抱えることで、友人や恋人との関係をすべて断ち切らざるを得なくなったことです。めんどくさがりが生んだゴミの山は、私の人間関係までも物理的に遮断してしまいました。ある日、ふと鏡を見た時、ゴミの中で疲れ切った表情をしている自分を見て、激しい嫌悪感が込み上げてきました。そこで初めて、私は自分の部屋だけでなく、自分の人生を壊しているのだと気づきました。そこからの片付けは地獄のような日々でしたが、一袋ずつゴミを外に出すたびに、自分の心が軽くなっていくのを感じました。今は、物がほとんどないミニマリストのような生活を送っています。それは、私が依然としてめんどくさがりだからです。物を持たなければ、片付ける手間も、管理する面倒もありません。めんどくさがりだからこそ、最初から汚さない環境を作る。それが、ゴミ屋敷という地獄を経験した私がたどり着いた、唯一の生存戦略です。