私は子供の頃から、親に掃除をしなさいと怒られ続けてきた筋金入りのめんどくさがりでした。一人暮らしを始めた時、その自由さは私にとって毒となりました。誰にも文句を言われない環境で、私は食事の後の片付けやゴミ出しを、明日やればいいと言い訳して逃げ続けました。最初はコンビニの袋が数個床に置かれているだけでしたが、一ヶ月もすれば足の踏み場は半分になり、半年後には床が完全に見えなくなりました。その頃の私は、ゴミの上に布団を敷いて寝ることにすら抵抗を感じなくなっていました。めんどくさがりが高じると、人は不便さすらも受け入れてしまうのです。エアコンのリモコンを探すのに十分かかることも、虫が這う音に怯えながら眠ることも、掃除をする面倒くささに比べれば耐えられると本気で思っていました。しかし、ある夏の日に突然訪れた異臭と、近隣からの苦情によって、私の楽園は崩壊しました。業者を呼んでゴミが運び出される様子を眺めながら、私は自分の人生がいかに無駄な時間とエネルギーを「めんどくさい」という感情に費やしてきたかを痛感しました。ゴミ屋敷を片付けるための費用は、これまで私が節約しようとしてきた労力とは比較にならないほど高額で、精神的なダメージも計り知れないものでした。結局、めんどくさがって物事を後回しにするという行為は、未来の自分に対して多額の借金を背負わせているのと同じことだったのです。今は、たとえ一分でもいいから毎日片付けるようにしています。それは掃除が好きになったからではなく、二度とあのゴミの山に埋もれる惨めさを味わいたくないからです。めんどくさがりの本質は、自分を大切にしないことに直結しているのだと、空っぽになった部屋の真ん中で気づきました。今は、床が見えるという当たり前の光景が、私にどれほどの心の平穏を与えてくれるかを噛み締めています。もし、かつての私のようにゴミに囲まれて動けなくなっている人がいるなら、その「めんどくさい」の先には、今の何倍も面倒で苦しい現実が待っていることを伝えたいです。
自称めんどくさがりの私がゴミ屋敷で悟った後悔の日々