私の部屋がゴミ屋敷と化してから、まともな料理を作ることができなくなるまでに、そう時間はかかりませんでした。最初は少し片付けが面倒で、使い終わったフライパンをコンロの上に放置しただけだったのですが、気づけばその上にコンビニの袋や空のペットボトルが重なり、調理スペースは徐々に失われていきました。最終的には、三口あるガスコンロのうち、わずかに残った一口のスペースで、ゴミの山をかき分けながら小さな鍋を火にかけるのが精一杯の状態になりました。足元には数ヶ月分のゴミが層を成し、コンロに向かって立つ際もバランスを崩さないよう必死に踏ん張る必要がありました。このような環境で作る料理は、およそ「食事」と呼べるものではありませんでした。まな板を置く場所すらないため、膝の上で食材を切ったり、汚れたシンクの上に乗せた洗面器の中で野菜を洗ったりしていましたが、その過程で床のゴミが鍋の中に混入することも日常茶飯事でした。最も辛かったのは、食べ物の匂いとゴミの腐敗臭が混じり合った、独特の重苦しい空気を吸い込みながら食事をすることでした。味覚は次第に鈍くなり、ただ空腹を満たすためだけに、衛生管理もままならない食材を口に運ぶ日々。時折、ゴミの隙間から現れる害虫を見かけても、驚きや嫌悪感すら湧かなくなり、自分の人間としての感覚が壊れていくのをはっきりと感じました。冷蔵庫の中は、いつ買ったか分からない食材が黒く変色して張り付いており、扉を開けるたびに部屋の空気がさらに汚染されていくような感覚に陥りました。それなのに、外食をするお金も、誰かに助けを求める勇気もなく、私はその汚泥のような部屋の中で、自分を呪いながら一人で貧相な食事を作り続けました。ゴミ屋敷の中での料理は、生存のための最低限の活動であるはずが、実際には自分をゆっくりと殺していくための儀式のようでした。今、清掃を終えて清潔なキッチンで味噌汁を作っていますが、立ち上る湯気がゴミの臭いを含んでいないことに、涙が出るほどの安堵感を覚えています。あの地獄のような食卓を経験したからこそ、清潔な場所で料理ができるという当たり前の幸せが、どれほど貴重なものであるかを痛感しています。